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東京高等裁判所 昭和42年(う)587号 判決 1967年7月27日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京簡易裁判所に差し戻す。

理由

弁護人の控訴趣意中原審における法令違反の主張について。

所論に対する判断を為すに先だち、本被告事件の原審における審理経過を検するに、被告人は道路交通法第三十七条第一項に違反し、同法第百二十条第一項第二号に該当する罪により昭和四十一年十一月二十五日付をもつて東京簡易裁判所に起訴されたものであるが、同庁における右被告事件に対する第一回公判期日は昭和四十二年一月二十七日に開かれ、被告人は通常の弁護人を選任しないまま右公判期日に出頭し、人定質問を受けた直後、特別弁護人選任許可を申し立てたが裁判所から許可されなかつたこと、被告人は検察官の起訴状朗読に引き続く被告事件についての陳述において起訴状記載の事実を否認したこと、検察官より本件犯行現認状況を立証するため証人加藤真一の取調請求が為され、裁判所はこれを採用し、次回公判期日にその取調を為す旨の決定をしたこと、被告人は、裁判所が被告人の申立に係る特別弁護人の選任を理由も示さず許可しないというのであれば今後の審理に応ずることはできないとして裁判官忌避の申立てを為したが、裁判所が右申立は刑事訴訟法第二十二条の規定に違反するとして同法第二十四条によりこれを却下する旨決定したところ、被告人は傍聴人らと呼応して「そんなのは一方的だ、民主的な裁判ではない」等と暴言を吐いて審理を妨害し、裁判官の訴訟指揮に従わなかつたため裁判官から退廷を命ぜられて退廷したこと、被告人の退廷後裁判所は検察官の証人加藤真一に対する取調請求の撤回により前記証拠決定を取り消し、検察官からあらためて取調請求のあつた①司法巡査加藤真一作成の道路交通法違反現認報告書一通、②同上作成の捜査報告書二通、③和知説明の司法巡査(原審公判調書に司法警察員とあるのは誤記と認める)に対する供述調書一通④他三通の各証拠書類を全部証拠として取り調べる旨決定し、その取調を終つた後、事実及び法律の適用についての検察官の意見を聴いて弁論を終結し、即日判決の宣告をしたこと、以上の手続の為されたことが一件記録上明らかである。

ところで原判決は、叙上①ないし③の各書類を証拠として被告人に対し本件起訴状記載と同旨の道路交通法第三十七条第一項の規定に違反し同法第百二十条第一項第二号に該当する犯罪事実を認定して有罪の言渡をしているが、証拠として掲げられた右各書類はすべて刑事訴訟法第三百二十一条第一項にいわゆる「被告人以外の者が作成した供述書又はその供述を録取した書面」であるから、同条項(第三号)所定の場合に当らない限り、被告人又は弁護人がこれを証拠とすることに同意したときでなければ、これを証拠とすることができないことは同法第三百二十六条第一項の規定に徴し明白である。

尤も同条第二項は、被告人が出頭しないでも証拠調を行うことができる場合において、被告人が出頭しないときは、同条第一項の同意があつたものとみなす、但し、代理人又は弁護人が出頭したときは、この限りでない旨規定しているが、その法意は、五万円以下の罰金又は科料にあたるいわゆる軽微事件(同法第二百八十四条・罰金等臨時措置法第七条第二項)等において、被告人及び弁護人又は代理人のいずれも公判期日に出頭しないときは、裁判所は、書面を証拠とすることの同意の有無を確めるに由なく、そのため訴訟の進行が著しく阻害されるから、これを防止する便宜策として、これらの者が正当な理由がなく出頭しない場合に限り、証拠調を含む事件の審理全般を裁判所に一任する意思に出たものと認め、刑事訴訟法第三百二十六条第一項の同意があつたものとみなして訴訟の促進を図つたものに外ならず、従つて、いわゆる軽微事件についても、被告人は公判期日に出頭の義務こそなけれその権利を有しないわけではないから、若し召喚に応じて公判期日に出頭したときには、同条第二項を適用すべき限りでないことはいうまでもない。

しかして、公判期日に出頭した被告人が秩序維持のため裁判長から退廷を命ぜられたときは、いわゆる軽微事件たると否とを問わずその陳述を聴かないで判決をすることができ(同法第三百四十一条)、この場合においては、被告人が公判期日に出頭していないまま、当然判決の前提となるべき証拠調を含む審理を追行することができるとしても、斯様に一旦は公判期日に出頭し、その後秩序維持のため裁判長から退廷を命ぜられて退廷した被告人は、同法第三百二十六条第一項の同意、不同意を含む被告人としての訴訟上の諸権利を行使する意思を放棄しているのではないことが窺われるから、これを前述の如く証拠調を含む事件の審理全般を裁判所に一任する意思に出たものと認められる、正当な理由がなく公判期日に出頭しない者と同日に論ずることは失当であるというべく、少なくとも同法第三百二十一条第一項にいわゆる「被告人以外の者が作成した供述書又はその供述を録取した書面」に関する限り、殊にそれが当該公判期日において、退廷命令以前には未だ取調請求がなされず、従つてその取調決定のなされることが全く予想されていない場合には、当該被告事件がいわゆる軽微事件であると否とに拘りなく、同法第三百二十六条第二項の規定は適用されないものと解するのが相当である。

翻えつて本件の場合を考えると、被告事件は三万円以下の罰金にあたる事件であるが、前示審理経過から窺われる如く、被告人は冒頭から公訴事実を否認しているのであるから検察官が取調を請求すべき証拠書類の相当多数のものについてこれを証拠とすることに同意しないであろうことは予想するに難くないのみならず、取調決定に係る前記①ないし③の各証拠書類は本件退廷命令以前においては未だ取調請求がなされていないのであるから、かような書類について刑事訴訟法第三百二十六条第二項の規定を援用し同意を擬制して取り調べることが被告人の意思を無視し、その訴訟上の権利を侵害する失当な措置である所以は前段説明のとおりであり、原判決は正にこれら①ないし③の各書類のみを証拠として被告人に対し起訴状記載と同旨の犯罪事実を認定して有罪の言渡をしたものであるから、原審の右訴訟手続の違法が判決に影響を及ぼしていることは明白であつて、原判決は所論退廷命令の適否に拘らず、この点において破棄を免れない。論旨は理由があることに帰する。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百七十九条によつて原判決を破棄し、同法第四百条本文に則り本件を原裁判所に差し戻すこととして主文のとおり判決する。(栗田 正 沼尻芳孝 近藤浩武)

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